逐节对照
- 新标点和合本 - 倘若亚伯拉罕是因行为称义,就有可夸的;只是在 神面前并无可夸。
- 和合本2010(上帝版-简体) - 倘若亚伯拉罕是因行为称义,他就有可夸的,但是在上帝面前他一无可夸。
- 和合本2010(神版-简体) - 倘若亚伯拉罕是因行为称义,他就有可夸的,但是在 神面前他一无可夸。
- 当代译本 - 亚伯拉罕如果是因行为而被称为义人,就可以夸口了,但他在上帝面前没有可夸的。
- 圣经新译本 - 亚伯拉罕若是因行为称义,就有可夸的,只是不能在 神面前夸口。
- 中文标准译本 - 事实上,如果亚伯拉罕本于行为被称为义,他就有可夸耀的;然而在神面前他并没有可夸耀的。
- 现代标点和合本 - 倘若亚伯拉罕是因行为称义,就有可夸的,只是在神面前并无可夸。
- 和合本(拼音版) - 倘若亚伯拉罕是因行为称义,就有可夸的,只是在上帝面前并无可夸。
- New International Version - If, in fact, Abraham was justified by works, he had something to boast about—but not before God.
- New International Reader's Version - Did he become right with God because of something he did? If so, he could brag about it. But he couldn’t brag to God.
- English Standard Version - For if Abraham was justified by works, he has something to boast about, but not before God.
- New Living Translation - If his good deeds had made him acceptable to God, he would have had something to boast about. But that was not God’s way.
- Christian Standard Bible - If Abraham was justified by works, he has something to boast about — but not before God.
- New American Standard Bible - For if Abraham was justified by works, he has something to boast about; but not before God.
- New King James Version - For if Abraham was justified by works, he has something to boast about, but not before God.
- Amplified Bible - For if Abraham was justified [that is, acquitted from the guilt of his sins] by works [those things he did that were good], he has something to boast about, but not before God.
- American Standard Version - For if Abraham was justified by works, he hath whereof to glory; but not toward God.
- King James Version - For if Abraham were justified by works, he hath whereof to glory; but not before God.
- New English Translation - For if Abraham was declared righteous by the works of the law, he has something to boast about – but not before God.
- World English Bible - For if Abraham was justified by works, he has something to boast about, but not toward God.
- 新標點和合本 - 倘若亞伯拉罕是因行為稱義,就有可誇的;只是在神面前並無可誇。
- 和合本2010(上帝版-繁體) - 倘若亞伯拉罕是因行為稱義,他就有可誇的,但是在上帝面前他一無可誇。
- 和合本2010(神版-繁體) - 倘若亞伯拉罕是因行為稱義,他就有可誇的,但是在 神面前他一無可誇。
- 當代譯本 - 亞伯拉罕如果是因行為而被稱為義人,就可以誇口了,但他在上帝面前沒有可誇的。
- 聖經新譯本 - 亞伯拉罕若是因行為稱義,就有可誇的,只是不能在 神面前誇口。
- 呂振中譯本 - 倘若 亞伯拉罕 是由於行為而得稱義,他就有可誇了,可不是在上帝面前有 可誇 啊。
- 中文標準譯本 - 事實上,如果亞伯拉罕本於行為被稱為義,他就有可誇耀的;然而在神面前他並沒有可誇耀的。
- 現代標點和合本 - 倘若亞伯拉罕是因行為稱義,就有可誇的,只是在神面前並無可誇。
- 文理和合譯本 - 亞伯拉罕若因行見義、則有可誇、然於上帝前則無之、
- 文理委辦譯本 - 曰、縱有之、亦無可誇、若亞伯拉罕恃己所行而稱義、則有可誇、惟在上帝前、本無可誇也、
- 施約瑟淺文理新舊約聖經 - 若 亞伯拉罕 由其所行而得稱義、則有可誇、惟於天主前無有也、
- 吳經熊文理聖詠與新經全集 - 彼若欲以事功見稱、誠有所誇;然在天主之前、實不足多也。
- Nueva Versión Internacional - En realidad, si Abraham hubiera sido justificado por las obras, habría tenido de qué jactarse, pero no delante de Dios.
- 현대인의 성경 - 만일 아브라함이 행위로 의롭다는 인정을 받았다면 자랑할 것이 있었을 것입니다. 그러나 사실 그에게는 하나님 앞에서 자랑할 것이 아무것도 없었습니다.
- Новый Русский Перевод - Если бы Авраам получил оправдание по делам, то ему было бы чем хвалиться, но только не перед Богом.
- Восточный перевод - Если бы Ибрахим получил оправдание по делам, то ему было бы чем хвалиться, но только не перед Всевышним.
- Восточный перевод, версия с «Аллахом» - Если бы Ибрахим получил оправдание по делам, то ему было бы чем хвалиться, но только не перед Аллахом.
- Восточный перевод, версия для Таджикистана - Если бы Иброхим получил оправдание по делам, то ему было бы чем хвалиться, но только не перед Всевышним.
- La Bible du Semeur 2015 - S’il a été déclaré juste en raison de ce qu’il a fait, alors certes, il peut se vanter. Mais ce n’est pas ainsi que Dieu voit la chose !
- Nestle Aland 28 - εἰ γὰρ Ἀβραὰμ ἐξ ἔργων ἐδικαιώθη, ἔχει καύχημα, ἀλλ’ οὐ πρὸς θεόν.
- unfoldingWord® Greek New Testament - εἰ γὰρ Ἀβραὰμ ἐξ ἔργων ἐδικαιώθη, ἔχει καύχημα, ἀλλ’ οὐ πρὸς Θεόν.
- Nova Versão Internacional - Se de fato Abraão foi justificado pelas obras, ele tem do que se gloriar, mas não diante de Deus.
- Kinh Thánh Hiện Đại - Nếu vì làm lành mà Áp-ra-ham được Đức Chúa Trời nhìn nhận là người công chính vô tội, hẳn ông có lý do tự hào. Nhưng Đức Chúa Trời không thừa nhận điều ấy.
- พระคริสตธรรมคัมภีร์ไทย ฉบับอมตธรรมร่วมสมัย - อันที่จริงถ้านับว่าอับราฮัมเป็นผู้ชอบธรรมโดยการประพฤติ เขาก็มีข้อที่จะอวดได้ แต่ไม่เป็นเช่นนั้นเลยต่อหน้าพระเจ้า
- พระคัมภีร์ ฉบับแปลใหม่ - ถ้าอับราฮัมพ้นผิดโดยการปฏิบัติตน ท่านก็สามารถโอ้อวดได้ แต่ไม่ใช่ในสายตาของพระเจ้า
交叉引用
- エゼキエル書 8:9 - 「入って行って、そこで行われている邪悪なことを見なさい。」
- ガラテヤ人への手紙 3:22 - 聖書は、私たちはみな、その罪の力に閉じ込められていると宣告しています。そこから解放されるには、イエス・キリストを信じる信仰による以外にないのです。この罪からの脱出の道は、キリストを信じるすべての人に開かれています。
- ローマ人への手紙 15:17 - それで、キリスト・イエスが私を用いてなしてくださったことを、誇りに思っています。
- コリント人への手紙Ⅱ 5:12 - またしても、私たちが自己推薦を始めたと思いますか。そうではありません。ただ、あなたがたを、外見上のりっぱさを誇りながら、実際には、心の中は偽りと不誠実で満ちている人たちに対抗できるようにさせたいのです。あなたがたは、私たちの動機が正しく、しかも誠実である点を誇ることができます。
- コリント人への手紙Ⅰ 4:7 - いったい何について、そんなに得意になるのですか。あなたの持ちもので、神からいただかなかったものがありますか。その全部が神からいただいたものなら、どうして、さも偉そうにふるまうのですか。また、どうして自力で何かを成し遂げたような態度をとるのですか。
- エレミヤ書 9:23 - 主は命じます。 「知恵のある者は、知恵をひけらかしてはいけない。 力のある者は力を、金持ちは富を誇ってはいけない。
- エレミヤ書 9:24 - 誇る者は、わたしをほんとうに知っていることと、 わたしが正義の主であって、 その愛は変わらないと知っていることを誇りなさい。
- 創世記 20:9 - このあと、王はアブラハムを呼び寄せました。「いったいなんということをしてくれたのか。もう少しで、私も国も、たいへんな罪を犯すところだった。こんな仕打ちを受ける覚えはさらさらない。私があなたに何をしたというのか。どうして、こんなひどいことを考えついたのだ。」
- 創世記 20:11 - アブラハムは答えました。「実を言うと、この町は神を恐れない町だと思ったのです。ですから、きっと私を殺して妻を奪うだろうと思いました。それに、彼女が妹だというのはうそではありません。腹違いの妹で、私の妻となったのです。
- 創世記 20:13 - そんなわけで、神の命令で故郷を発つ時、妻には、『これからどこへ行っても、おまえは私の妹だということにしてほしい』と頼んでおいたのです。」
- コリント人への手紙Ⅱ 11:12 - しかし、今のやり方を、これからも続けるつもりです。それは、私たちと同じように神のために働いていると誇る人たちにつけこむ機会を与えないためです。
- ガラテヤ人への手紙 6:13 - そうした、割礼を主張する教師たちは、割礼以外の律法は守ろうとしません。それなのに、あなたがたに割礼を強要するのは、弟子をふやして誇るためなのです。
- ガラテヤ人への手紙 6:14 - しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。
- 創世記 12:18 - 王はアブラムを呼び出し、激しく非難しました。「いったい、なんということをしてくれたのだ。サライがおまえの妻だということを、どうして隠していたのか。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:1 - こんな自慢話は全くむだなことですが、もう少し我慢してください。私の見た幻と、主から示されたことについてお話ししたいのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:2 - 十四年前、私は天に引き上げられました。肉体のままか、それとも霊だけなのかとは聞かないでください。私にはわからないのです。答えられるのは、神おひとりです。しかしいずれにしても、私はパラダイスに引き上げられたのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:4 - そこで、人間にはとうてい表現できない、驚くべきことを耳にしました。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:5 - こんな経験こそ、自慢するに値します。しかし、自慢しようとは思いません。私が誇ろうとしているのは、自分の弱さと、そして、こんなに弱い私を、ご自分の栄光のために使ってくださる神の偉大さだけです。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:6 - 私には誇るべきことがたくさんあるのですから、たとい誇っても、愚か者にはならないでしょう。しかし私は、だれにも、私の生活やことばから実際に見聞きする以上に、私を買いかぶってほしくないのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:7 - その経験があまりにすばらしかったので、神様は、私が高ぶってはいけないと心を配られました。それで、肉体に一つのとげを与えられたのです。それは、高慢にならないように苦痛を与え、悩ませるためのサタンの使いです。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:8 - 私は、もとどおりに回復させてくださいと、三度も神にお願いしました。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:9 - そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。
- コリント人への手紙Ⅰ 1:29 - ですから、どこのだれであっても、神の前で誇ることはできません。
- ローマ人への手紙 3:20 - おわかりでしょうか。律法の命じることを行って、神に正しい者と認められようとしてもむだです。私たちは律法を深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるのです。律法は私たちに、自分が罪人であることを自覚させるのです。
- ローマ人への手紙 3:21 - しかし今、神は、別の救いの道を示してくださいました。その新しい道は、「善人になる」とか、律法を守ろうと努力するような道ではありません。神は今、「もしあなたがたがイエス・キリストを信じるなら、あなたがたを受け入れ、罪のない者と宣言する」と言われます。どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じるという、この方法によって救われるのです。
- ローマ人への手紙 3:23 - すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。
- ローマ人への手紙 3:24 - けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。
- ローマ人への手紙 3:25 - 神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公正であられるのです。キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神は待ち望んでおられました。
- ローマ人への手紙 3:26 - そして今日も、神はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。イエスが彼らを、義と認めてくださるためです。 しかし、このように罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神の公正なやり方に反するのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。なぜなら彼らが、自分の罪を帳消しにしてくださったイエスを信じたという事実に基づいて、神はそうなさるからです。
- ローマ人への手紙 3:27 - それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。何もしていません。なぜでしょう。私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。
- ローマ人への手紙 3:28 - つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではないのですから。
- 創世記 12:20 - 王は兵士にアブラムと妻をその縁者や財産とともに護送させ、エジプトから追放しました。
- エペソ人への手紙 2:9 - 救いは、私たちの良い行いに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。
- ヨシュア記 24:2 - ヨシュアは次のように告げました。「イスラエルの神、主は、こうお語りになった。 『もともとあなたがたの先祖たち、アブラハムやナホルの父テラはユーフラテス川の東に住み、ほかの神々を礼拝していた。
- コリント人への手紙Ⅰ 9:16 - それというのも、福音を宣べ伝えても、別に私の名誉にはならないからです。たとえやめたいと思っても、やめるわけにはいきません。当然、果たすべきこの任務をもしやめたら、全くみじめなことになります。福音を宣べ伝えなかったら、私は災いに会います。
- ピリピ人への手紙 3:9 - もはや、良い人間になろうとか、律法に従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――を持っているかどうかで決まるからです。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:30 - しかし、もしどうしても誇る必要があるなら、私はむしろ、自分の弱さを誇ります。
- コリント人への手紙Ⅰ 1:31 - 聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」(エレミヤ9・23-24)ということばどおりになるためです。